刀剑乱舞系列

刀剑乱舞系列

类型: 女性向/治愈/日常
诞生时间: 2015年1月14日
动画: 制作中
漫画: 已完结
小说: 已完结

简介:时为公元2205年。 是以改变历史为目的的“历史修正主义者”开始对过去实施攻击的时代。 被赋予了守护历史这一使命的“审神者”,由他们所唤起的最强付丧神“刀剑男士”。 这是,他们以“某个本丸”为舞台,一心一意、开朗明快地生活的“花丸”日常物语——

刀剑乱舞系列角色

加州清光

加州清光

俺、加州清光。川の下の子、河原の子ってね。 扱いにくいが性能はピカイチ、いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれる人大募集してるよ 新刀期の刀鍛冶、加州清光の手による名刀。 ー彼の生みの親は非人小屋にいたため非人清光とも呼ばれる。非人は江戸時代の身分制度の底辺であり、非常に貧しかったと思われる。

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歌仙兼定

歌仙兼定

僕は歌仙兼定。歴代兼定でも随一と呼ばれる二代目、通称之定の作さ。 名前の由来は三十六歌仙から。風流だろう? ……まあ、元主が手打ちにした人数が36人だったから、と言うと、みんなどういう顔をしていいかわからなくなるようだけれど 兼定作。細川忠興の佩刀。忠興がこの刀で家臣36人を斬った後、三十六歌仙にちなんで名付けた。この刀の拵(外装)は美的に優れた物で「歌仙拵」と呼ばれる。

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山姥切国広

山姥切国広

俺は山姥切国広。足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀だ。・・・山姥切の写しとしてな。 だが、俺は偽物なんかじゃない。国広の第一の傑作なんだ・・・・・・! 安土桃山時代に長尾顕長(下野国足利城城主)のために作られた刀の一つ。堀川一門が作成した物を「堀川物」といい、その堀川物の内の一つとされる。 堀川国広作。山姥切を所持していた長尾顕長の依頼で製作された。重要文化財。

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蜂須賀虎徹

蜂須賀虎徹

蜂須賀虎徹だ。蜂須賀家に伝来したことからこう呼ばれているんだ。 銘入りの虎徹はほぼ全ては贋作と言われているが、俺は本物。一緒にしてもらっては困るんだよ 徳島藩主の蜂須賀家に伝来。個人蔵。 江戸時代に活躍した刀工である「虎徹」が打った刀。

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陸奥守吉行

陸奥守吉行

わしは陸奥守吉行じゃ。そうそう、坂本龍馬の佩刀として知られちゅうね。 土佐じゃー名刀として評判やったがやけど、龍馬の時代じゃ、もう刀は時代遅れじゃった。 けんど、それが世界というもんぜよ。 説明にもある通り、坂本龍馬の佩刀として知られる。ちなみに佩刀とは腰に帯びる刀のこと。豪放磊落な性格は主である龍馬の影響か。 坂本家先祖伝来の一品で、龍馬が脱藩する際に姉の栄から渡されたという説と龍馬が兄の権平にせがんで贈ってもらったという説がある。

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三日月宗近

三日月宗近

俺の名は三日月宗近。まあ、天下五剣の一つにして、一番美しいともいうな。 十一世紀の末に生まれた。ようするにまぁ、じじいさ。ははは 三日月宗近(みかづきむねちか)被指定為日本國寶的日本刀。是所謂的天下五劍之一。 三日月宗近是日本平安時代的刀工三條宗近的作品。「三日月」這個名字據說得自於沿刀紋排列的半月形花紋。此刀為太刀,刃長80cm,彎曲度2.7cm,刀銘為「三條」。 作為足利將軍家秘藏的名刀傳承,據說在永祿8年(1565)松永久秀與三好三人眾襲擊二條御所殺害將軍足利義輝時(永祿之變),義輝揮舞著三日月宗近奮戰。戰後作為戰利品傳至三好政康手中,之後政康將其獻於豐臣秀吉,成為豐臣秀吉正室高台院所有之物,之後被贈於德川家康之子德川秀忠,為德川將軍家所收藏。現收藏於東京國立博物館。

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石切丸

石切丸

石切丸という。 石をも斬る神刀、とは言われるけれど、もっぱら腫れ物や病魔を霊的に斬ることが多いな。 何せ、神社ぐらしが長いものでね。いくさよりは神事のほうが得意になってしまったよ 石切剣箭神社の神刀。 「石切丸」と銘が付く刀剣は数々あれど、ここでは「石切劔箭神社(大阪府東大阪市)」に伝わる三条宗近作の太刀のことを言う。鎌倉時代作。 同神社に宝刀として短刀「小狐丸」と一緒に伝承されている。

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岩融

岩融

がはははは! 俺は岩融! 武蔵坊弁慶とともに999の刀を狩った薙刀よ!並大抵の人間では俺を振るうことなど不可能! 主よ、俺を楽しませてくれるかな!? 歌舞伎「勧進帳」でも出てくる、刃長だけで3尺5寸(約105cm)もある大きな薙刀。当時薙刀と言えば刃が最大でも90cm、柄の部分が最大で150cmであることから相当大きな物であると言える。 三条宗近作と言われるが武蔵坊弁慶が使っていたという謂われも有り、三条宗近作ではないという説もある。

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今剣

今剣

ぼくは、今剣!よしつねこうのまもりがたななんですよ!どうだ、すごいでしょう! よしつねこうとはおてらにいたころからのつきあいで、さいごのときまで、ごいっしょしたんですよ! ……そう……さいごのときまで……。 源義経が自刃する際に用いた刀剣とされる。 作者は伝説の名工、三条宗近。 今剣は最初から義経のものとして作られたわけではなく,鞍馬山を祈願のために訪れた宗近が奉納していったものである。今剣という名前は奉納時に僧侶がつけたものらしい。その後幼くして寺に預けられた義経の守り刀として今剣が授けられたのだと推測される。義経は西国での合戦の時にも彼を鎧の下にさしていたという。 刀身の長さは6寸5分(約19.5cm)。作られたときには6尺5寸(約195cm)の大太刀であり、守り刀にする際に短刀に作り直したと言う説がある。むかしはもっとせがたかかったような、という台詞はこの説に由来する。

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にっかり青江

にっかり青江

僕はにっかり青江。元は大太刀の大脇差さ。 うんうん、君も変な名前だと思うだろう? ・・・・・・でもさ、にっかりと笑った女の幽霊を斬ったのが由来、と聞いてまだ君は笑っていられるかな? 夜道で「ニッカリ」笑いながら近づいてくる女(妖怪)に斬りつけ、翌朝確かめたところ、石灯籠が真っ二つになっていた、という伝説より。丹羽長秀の佩刀を経て京極家に伝わる。重要美術品。丸亀市所蔵。

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鳴狐

鳴狐

やあやあこれなる粟田口派、左兵衛尉藤原国吉が打ちたる打刀。 その特徴は差表に名が刻まれていることなのですよぅ! 館林藩主の秋元家伝来。粟田口国吉の平造脇差。重要文化財。東京国立博物館蔵。

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一期一振

一期一振

私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀でございます。 吉光は短刀の名手でして、弟達はおおむね短刀です。 主だった豊臣秀吉は私を自分に合わせて磨上げて、今の姿になりましたが……その頃の思い出は、大阪城と一緒に焼け落ちました 粟田口吉光の唯一の在銘の太刀であったが、豊臣秀吉が自分の体格に合わせて磨り上げ、額銘とした。大坂夏の陣で焼け身となり、初代康継が焼きなおす。御物。

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鯰尾藤四郎

鯰尾藤四郎

鯰尾藤四郎です。藤四郎の脇差で元は薙刀でした。 焼けたせいで少し記憶はないけど、まあ、なんとかなりますって! 粟田口吉光が元は小薙刀として作成した物を磨上げして脇差しにした物。豊臣秀頼が愛用したと言われる。 現在は徳川美術館に所蔵されている。

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骨喰藤四郎

骨喰藤四郎

俺は、骨喰藤四郎。元は薙刀。今は長脇差。記憶は無い。 記憶にあるのは、炎だけ。炎が俺の何もかもを焼いたようだ。 粟田口吉光(藤四郎)作の薙刀を磨り上げた薙刀直し脇差。斬真似をしただけで骨が砕けるようだとの想像から。焼き直し。重要文化財。豊国神社所蔵。

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平野藤四郎

平野藤四郎

平野藤四郎といいます。明治の帝に献上されたこともあるんですよ。 実戦より、警護やお付きだったことのほうが多いんですが、お供なら任せてください。どこまででもご一緒しますから! 平野藤四郎(ひらのとうしろう)とは、粟田口吉光(藤四郎)作の日本刀(短刀)。短刀の名物の筆頭とされる。現在は皇室御物となっている。 名前の由来は、木村重茲が摂津の商人・平野道雪より入手したと伝えられていることによる。木村重茲はこの短刀を豊臣秀吉に献上し、秀吉は前田利長に譲り、以後、前田家に伝えられた。 明治時代に、前田家より明治天皇に献上され、御物となって現在に至る。

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厚藤四郎

厚藤四郎

よっ……と。オレは、厚藤四郎。刃がまっすぐ、かつ厚いのが特徴で、兄弟の中だと鎧通しに分類されるんだ。 自慢じゃないけど、歴代の主は名将が多くて、なかなかの有名人ばかりだぜ 寸法が27.6cmと短いが刃が厚いのが特徴。刃の厚みが1.1cmもある。だから名前が厚藤四郎。 彼のように身幅が狭く重ねが極端に厚く、刃長は九寸五分前後という極めて頑丈な造り込みの短刀は鎧通しと呼ばれる。 歴代の持ち主として一柳直末、黒田如水、豊臣秀次、豊臣秀吉などがいる。その後の毛利家の所有となったが徳川家綱に献上された。

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前田藤四郎

前田藤四郎

前田藤四郎と申します藤四郎の眷属の末席に座するものです。 大きな武勲はありませんが、末永くお仕えします 粟田口吉光作の短刀。 前田利家なんかで有名な前田家に伝来したことからこの名がついている。 重要文化財に指定されている。

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秋田藤四郎

秋田藤四郎

秋田藤四郎です。藤四郎は兄弟が多いですが、僕を見間違えたりはしませんよね。 ずっと貴い方の守り刀をしていたので、あんまり戦に出てないんですよね。色々教えてくださいね

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乱藤四郎

乱藤四郎

ボクは乱藤四郎。粟田口吉光の打った短刀だよ。 特徴は、兄弟の中でも珍しい乱れ刀。……どう?結構違って見えるよね? 珍しく乱れ刃となっていることから。粟田口吉光の短刀。重要美術品。

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五虎退

五虎退

僕があの、五虎退です。謙信公へのお土産です。その時、なんというか、調子のいいお話がつけられて、僕、虎をいろいろやっつけたことになったんですけど。 ぐす。ほんとはただの短刀でぇ・・・ぐす 「五虎退吉光」とも。例によって粟田口吉光の作。上杉謙信が上洛した際に正親町天皇より拝領。 足利義満の遣明使として明に向かった役人が5頭の虎に襲われた時この短刀で追い払ったといういわれがある。

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薬研藤四郎

薬研藤四郎

薬研藤四郎だ。名前はこうだが兄弟たちと違って、俺は戦場育ちでな。 雅なことはよくわからんが、戦場じゃ頼りにしてくれていいぜ。ま、なかよくやろうや大将 織田信長の愛刀である。どこかひょうひょうとした性格はそのためか。 本能寺の変にて消失してしまうと言う悲しい過去を持っている。 畠山政長が自害しようとした際、なかなか腹に刺さらないので苛立ちこの刀を投げたところ、薬草を擂り潰す薬研を貫いたという逸話からこの名がついた。 薬研には刺さるが主は傷つけない。忠誠値の高さはこの為か。

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鶯丸

鶯丸

俺は鶯丸。大包平とは同じ古備前はで作風を同一にする。 まあ、近い時代の近い刀工で生まれたんだろう。兄弟、かな。 永享11年、結城合戦での功により足利義教から小笠原政康に賜ったとされる感状がこの刀と一緒になっている。 刃長は2尺7寸(約81.8cm)。 明治41年に茨城県へ天皇が行幸された折りに献上されている。

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蛍丸

蛍丸

来国俊の作、小さな体に大きな大太刀! 刃こぼれに蛍が集まる夢を見た後、 それが実際に直っていたという伝説が名前の由来。 自由奔放な彼の振る舞いは強さの表れ。 蛍丸(ほたるまる)は、来国俊作の日本刀。刀身が3尺3寸4分5厘(約100.35cm)という大太刀で、茎には「永仁5年3月1日」の銘があったとされる。 阿蘇神宮の大宮司であった阿蘇氏に伝えられていた。1931年(昭和6年)国宝指定。太平洋戦争終戦時の混乱の中で行方不明となった。 南北朝時代の南朝側の武将阿蘇惟澄が実戦で使用した際に、刃こぼれした刀に蛍が群がり刀を直した夢を見て、目が覚めて見てみると本当に直っていたとの伝説がある。この伝説が蛍丸の名の由来となっている。

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愛染国俊

愛染国俊

オレは愛染国俊。来派の二代、通称二字国俊が打った短刀だ。 どうだいこの愛染明王、かっこいいだろ? 愛染明王の彫り物があることから。重要文化財。

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蜻蛉切

蜻蛉切

……自分は村正作の槍、蜻蛉切と申します。三名槍のひとつとして評価をいただいております。 名の由来は、穂先に止まった蜻蛉が両断されたことであります。 蜻蛉切是在日本被稱為天下三名槍的槍。因日本戰國時代武將本多忠勝愛用而為人所知。 笹穗的槍身,刃長(穗)1尺4寸(43.7 cm)、槍身長1尺8寸(55.6 cm)、最大闊度為3.7 cm、厚度為1 cm、重量為498克,刃中央的坑紋(樋)雕上梵字和三鈷劍。三河文珠派的藤原正真的作品。 名稱的由來是在戰場中,蜻蜓飛到槍刃上時被切時兩半,因而得名(蜻蛉是蜻蜓的日文寫法)。通常的槍都是長4.5米,而蜻蛉切則柄長6米。但是因為忠勝在晩年時體力衰退,於是把柄改短為3尺多。經過青貝螺鈿細工加工的柄一直流傳,但是現在已經不存在。與黒糸威胴丸具足(鹿角兜)一同在本多家承傳,但是在第二次世界大戰時被毀掉。現今在愛知縣岡崎市的岡崎城內施設展示仿製品。 在江戶時代的記錄中,本多家還有另一把名為蜻蛉切的槍,雖然形狀不同(直穗),但是以同樣的模様雕塑,製作者亦是一樣。刃長(穗)1尺4寸(42.4 cm)、槍身長1尺8寸(54 cm)、闊度為3.6 cm、厚度為1 cm。不過這把槍的消息完全不明。

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燭台切光忠

燭台切光忠

僕は、燭台切光忠。伊達政宗公が使ってた刀なんだ。 政宗公に対して悪い感情はないけど、名前の由来が、人を斬った時にそばの燭台まで一緒に切れたから、ってのはねえ……。 いくら青銅の燭台とは言え、もうちょっと強そうなものだったらカッコ良かったんだけど 元々は織田信長が使っていたが、秀吉を経て伊達政宗に主人が移る。大倶利伽羅とは伊達家つながり、へし切長谷部とは信長つながり。 華やかな光忠を信長は特に愛用したという。 鎌倉時代中期に備前国で活躍した長舩派の祖である「光忠」が打ったといわれる。 名前の謂われは伊達政宗が家臣を斬った時に側にあった燭台も一緒に切れてしまったこと。 本丸セリフに出てくる太鼓鐘貞宗は光忠と同じく伊達政宗の愛刀(未実装)。

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江雪左文字

江雪左文字

・・・・・・江雪左文字と申します。板部岡江雪斎の佩刀だったが故にこう名付けられました。 ・・・・・・刀は、使われぬほうが良いのです。 抜かれる前、振るわれぬように、和睦に勤める。それが大事なのではないでしょうか。 江雪左文字(こうせつさもんじ)とは、刀工左文字の作による日本刀。左文字の在銘刀としては唯一の作品。 北条家支流田中内膳泰行の子後北条氏家臣板部岡江雪斎から豊臣秀吉に献上され、その後徳川家康を経て紀州徳川家に伝わった。現在は国宝指定を受けている。

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宗三左文字

宗三左文字

……宗三左文字と言います。 今川義元が討たれた時、僕を戦利品として得た魔王によって磨上られ、刻印を入れられてから今の僕があります。 ……ですから、義元左文字、とも呼ばれています。 その後は豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、そして徳川将軍家と僕は主人を変え、天下人の持つ刀として扱われました。 ……なぜ、みんな僕に、そんなに執着したのでしょうね…… 宗三左文字(そうざさもんじ)は、日本刀。その所持主の移り変わりから、「義元左文字」と称される事もある。 元々は戦国時代、畿内の三好宗三から甲斐・武田信玄の父武田信虎に贈られた刀である。その後、武田信虎が今川氏と和睦を示すものとして娘・定恵院を嫁がせる際に一緒に持たせた。その婿・今川義元は、この刀を自分の愛刀として大切にしたという。 その後、1560年の桶狭間の戦いにおいて義元を敗死させた織田信長は、戦利品としてこの刀を取得。信長は、「永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持持刀織田尾張守信長」と刻印し、自分の愛刀とした。これは本能寺の変まで信長の手元にあった。 本能寺の変の後は、豊臣秀吉の手に渡った。秀吉死去後は、その子の豊臣秀頼の手に渡り、さらに、秀頼から徳川家康の手に渡った。これ以降、徳川将軍家に代々受け継がれていった。この刀は常に天下を取るもの、狙う者の手にある運命にあると言われてきた。 その後、天明の大火に遭うものの再刃された。明治維新後、明治天皇が信長に建勲(たけいさお)の神号を贈り、建勲神社が創建された。その際に徳川家から「義元左文字」が建勲神社に奉納された。現在では重要文化財である。

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小夜左文字

小夜左文字

僕は小夜左文字。西行法師の歌から名付けられたんだ。 ……でも、僕が見いだされる事になった原因はそんな綺麗なものじゃない。血と怨念にまみれた、復讐劇だよ…… 西行法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」という歌から名付けられた。 持ち主である細川幽斎が、命の次に大事なこの刀に西行の歌の下の句にかけて命名したと言われる。 彼が見いだされることになったドラマチックなエピソードがある。本人いわく復讐劇らしいが。 桃山時代、日坂に居住していた浪人夫婦。夫が病で亡くなってしまう。幼児を抱えて残された妻は、生活の資金にと夫が秘蔵していた筑州左文字の短刀を売りに出かける途中で何者かに切り殺され、短刀を奪われてしまう。 残された子供はすくすくと育つ。なんとしても母の敵を討ちたいと願うが、手がかりは父のものだったという短刀のみである。「そうだ!研師のところにいればこの短刀に出会える機会があるんじゃないかな?!」そう思いついた子供は掛川の研師に弟子入りすることにした。 月日が経ったある日、一人の浪人が研ぎを頼むと短刀を持ってくる。立派な弟子となったかつての子供が茎を改めたところ、なんと表裏に筑州住 左という銘が。そこで色々とかまをかけると、浪人は入手の経緯をべらべらとしゃべってしまう。弟子はこの浪人こそ仇に違いないと確信し「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し、此処であったが百年目」と左文字の短刀を浪人の腹に突っ込み見事仇を討つことが出来た。めでたしめでたし。 このことを聞き知った掛川城主山内一豊は「稀有な事である」と弟子を召しだし家臣とした。同時に左文字の短刀も上納させ秘蔵。 その後短刀は細川藤孝幽斎の懇望により細川家に入り、小夜左文字と名を改めたそうな。 その後も持ち主を転々とし、現在は重要文化財の指定を受けている。 長さは8寸5厘(約24cm)。大振りで重ねが厚い。

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大和守安定

大和守安定

僕は大和守安定。沖田総司の愛刀の一つ。 扱いは難しいけど性能はいいと思う。よろしく 江戸時代初期、切れ味当代一と謳われた同名の刀工の作品。若き日の詳細は不明だが、30歳を前に江戸に出て和泉守兼重に師事したと伝えられる。 作風は無骨で沸えが深く互の目乱れを特徴とする。反りは浅く剣先もきわめて細い。そのためよく切れるが、刀の名人でしか使いこなせないという。使い手を選ぶため、値は安かったとも言われている。 彼の刀は切れ味や耐久性を試すために、罪人の死体を使って試し切りをされていた。試し斬りの際には、一度に胴体をいくつ斬り落とせるかを争う時もあった。安定の場合、平均2~3人(二つ胴、三つ胴と言う)を斬ったが、中には5人(五つ胴)斬ったものもあったそう。 ゲーム内で紹介されている沖田総司以外にも、同じく新撰組隊士の大石鍬次郎、幕府軍の伊庭八郎も愛用していた。 2010年11月23日の「開運なんでも鑑定団」で登場。本物であったが、本来の長さから5cmほど短く削られてしまっていたため、130万の値がついた。ちなみに本来の形であるならば300万ほどの価値があるという。

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和泉守兼定

和泉守兼定

オレは土方歳三が使ってたってことで有名な、和泉守兼定だ。 ・・・・・・つっても、オレは評価の高い二代目兼定じゃなく、十一代目か十二代目が打った刀だけどな。 まっ、侍の時代の終わりの、その最先端だったんだ。生まれに文句はないね 会津藩お抱えの刀工、十一代目兼定作。大きさは二尺八寸と、当時の刀としてもかなり大きい。近藤勇が郷里に宛てた手紙の文中に土方の差料が兼定であると記述がある。 二尺八寸だったという記録に対し、現存している兼定は約二尺三寸でやや短い。記録が合っているならば、土方は兼定を複数所有していて、残っているこちらは十二代目のものではないかという説がある。なので「十一代目か十二代目」と濁しているのだろう。(二尺八寸という書簡での記述が近藤の誇張だったかもしれないという説もあるのでなんとも言えない) 土方歳三資料館で年に一定期間のみ見ることができるので、気になる人は行ってみよう。 本人が言っている通り、土方の愛刀であることで有名。土方の写真に写っている刀がこの兼定である。 司馬遼太郎の「燃えよ剣」では浅草で「之定」を入手したことになっているが、これは司馬遼太郎の創作である。会津藩主松平容保から下賜されたのではないかといわれている。 「目潰しだ!」というセリフは斬り合いの際、土方が砂を蹴りあげて敵の目潰しをしたという逸話から。

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山伏国広

山伏国広

カカカカカ!拙僧は山伏国広と申す! 山野に篭もり、衆生浄土のため日夜修行の最中である! いくさもまた、これ修行!主殿には、拙僧の修行のため協力を願おうか! 堀川国広が天正十二年に作刀。 「山伏之時打之(山伏修行をしていた頃に打った)」との銘があり、不動明王像と「武運長久」の文字、梵字を彫刻してある。堀川一派は彫り物の腕でも有名。

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堀川国広

堀川国広

僕?堀川国広と言って、和泉守兼定と一緒に、土方歳三が使っていた脇差さ。 僕が本物の国広かどうかは意見が別れるところだけど、少なくとも兼さん……兼定の相棒だったことだけは、本当だよ 「堀川国広」という名は刀工の名。彼の作である刀を総称し「堀川物」と呼ぶ。あの子とかあの子とか 刀身の銘は「日州古屋住国広作 天正十四年八月日」と刻されている。 現在は個人所有の物である。 近藤勇が郷里に宛てた書簡にて、土方の脇差が「一尺九寸五分堀川国広」と認めている。しかし、国広は二尺以下の刀は打たない・幕末当時でも相当珍しい刀であったということから、偽物だったという説が有力である。 「僕が本物の国広かどうかは意見が別れるところだけど、少なくとも兼さん……兼定の相棒だったことだけは、本当だよ」

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大倶利伽羅

大倶利伽羅

……大倶利伽羅だ。相州伝の広光作で。前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。 ……それ以上は特に語ることはないな。何せ、無銘刀なものでね 伊達家伝来の太刀で相州廣光作。燭台切光忠とは伊達家つながり。 刀身に倶利伽羅竜が彫られていることが銘の由来。 倶利伽羅はインドのサンストクリット語で「剣に黒い龍の巻きついた不動尊像」という意味。剣が単独で磐石に突き立った姿は不動明王の化身とされ、仏教の八大龍王のひとつとして礼拝されている。 本来刀身に彫刻をするのは刀の威力を弱くするとされ避けられてきたが、刀身に傷が付いた時に隠す名目で彫刻をすることがあり、これもその為ではないかと言われる。

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へし切長谷部

へし切長谷部

へし切長谷部。・・・・・・変な名前でしょう? 前の主がね、茶坊主の失敗を許せずに、隠れた棚ごと圧し斬った記念の命名とか、ねえ。 ・・・・・・そういう男なんですよ。織田信長って奴は。 織田信長にまつわる名刀であり、国宝。作者は南北朝時代の刀工、長谷部国重と伝えられている。 この刀の外見的特徴は、刃紋が刀身全体に見られ鎬(しのぎ)や峰にまで焼き入れを行う「皆焼刃(ひたつらば)」となっている。皆焼は非常に難しい加工法で、失敗すると刀の品質を落としてしまうリスクがあり、国重は名工である正宗に学んだとされる皆焼の技術で迫力ある刃紋をつける事に成功した。 「黒田家御重宝故実」によると、無礼を働いた茶坊主、くわんない(観内)が棚の下に隠れたところ、激怒した信長がその棚ごと茶坊主を「圧し斬った」ことからその名があるという。「圧し斬る」とは振りかぶらずそのまま押しつけて斬るという意味。 黒田官兵衛、または長政が信長に中国征伐を進言した際、拝領したとされる。「直臣でもない奴」は彼のことだと思われる。 現在は福岡市博物館に所蔵されている。

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獅子王

獅子王

俺の名は獅子王。格好いいけどじっちゃんが持つ関係で軽く作ってあるんだ。 送り主のやさしさってやつだよな! 「獅子王」とは刀身に付けられた「号」。刀身自体は無銘刀である。 近衛天皇の代に都を騒がせた怪物、鵺を退治した恩賞として源頼政に下賜された物と言われている。頼政は源氏の長老として中央政権に君臨し、平家妥当を呼びかけた人物である。平均寿命40台の平安末期に77歳の長寿を全うし、生涯現役を貫いた。台詞に出てくる「じっちゃん」とは頼政のことだろう。 その後幕臣である土岐家が代々引き継いできたが、明治時代に東久世家を通じて明治天皇に献上された。今では東京国立博物館に所蔵されている。 刃長2尺5寸5分(約77cm)。薄くて刀身の幅が狭い、同時代のものと比べても全体的に小振りな太刀。小太刀として制作されたという説もある。

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同田貫正国

同田貫正国

俺は、同田貫正国。俺のことを不格好とかいう奴もいるけどさ、刀に何を求めてるんだろうな。 俺たちは武器なんだから、強いのでいいんだよ。他の連中にできなかった兜割り、成功したのは俺だけなんだぜ? 同田貫正国とは、同田貫派の刀工の祖。あるいは彼が打った刀の総称であり、本来は特定の刀を指す固有名詞ではない。 しかし天覧兜割りの逸話で一躍有名になった一振りが、現在では「同田貫正国」としてよく知られる。とうらぶの同田貫正国もこの刀の事であるようだ。 明治19年11月10日、東京府麹町区紀尾井町(現東京都千代田区)へ天皇が行幸。この時披露された刀による鉢試しが、俗に「天覧兜割り」と呼ばれる。 数々の剣術家が名刀を振るって明珍作の兜に挑む中、榊原鍵吉だけが見事これを成功させた。 兜には切り口三寸五分(約10.6cm)、深さ五分(約1.9cm)の斬撃痕が入り、この逸話は同田貫が如何に頑丈な刀であるかを余人に広く知らしめる事となった。 天覧兜割りの逸話の付加価値か、著名で、時には高値で取引される事もある同田貫だが、現代の刀剣界での美術的評価は低い。 同田貫全体が丈夫さを追求した大量生産品、いわば剛刀と呼ばれる物であるため。 現存する多くが反りが浅く重ねの厚い、見るからに実用刀。その切れ味は「斬るよりも断つ」と表現される事も。基本的に消耗品扱いだったという。 いくつかの時代劇や小説の中に一字変えた「胴太貫」なる名で登場する事があるが、これは同田貫の強さや頑丈さを誇張した創作上の名である。 「胴を斬り裂いて田んぼまで到達する」という由来で説明されるそうだが、流石にそこまでの威力が発揮できるかは疑問である。

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鶴丸国永

鶴丸国永

鶴丸国永だ。平安時代に打たれてから、主を転々としながら今まで生きてきた。ま、それだけ人気があったってことだなあ。 ……ただなあ、俺欲しさに、墓を暴いたり、神社から取り出したりは感心できないよなあ…… 安達家5代目当主安達宗景の実子「安達貞泰」が所持していた刀剣。安達一族が滅ぼされた後は北条貞時が所持していたと言われる。その際、安達貞泰の墓を暴いて入手したとも言われている。 その後織田信長が御牧景則に与えたその子の信景が関ヶ原の戦いで敗戦すると伏見藤森神社にあった物を本阿弥光温の弟光的が所持し、その後伊達家に渡った。明治34年の仙台行幸のおりに明治天皇へと献上され皇室御物となっている。

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太郎太刀

太郎太刀

私は太郎太刀。 見た目の通り、とても人間には使えるはずのない大きさで、それ故に奉納された刀です。 ……でも、私を実践で使った人間がかつていたんですよね。 彼はいったい、何者だったのでしょうか……? 刃渡りは9尺5寸(約2m88cm)と「朝倉始末記」に記されている。愛知県熱田神宮宝物館に展示されている現存物は刃渡り221.5cmで重さが4.5kg。ばかでかい。 「私を実践で使った人間」とは真柄直隆のこと。戦国時代の武将であり朝倉家の家臣である。足利義昭が朝倉義景を頼って一乗谷に来た際、御前で大太刀を軽々と頭上で数十回振り回し、豪傑ぶりを披露したという。なんてやつだ。 越前の刀匠千代鶴の作によるといわれている。 落語「浮世床」の中に太郎太刀の大きさをネタにした一節がある。興味のわいた主はぜひ調べてみよう。

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次郎太刀

次郎太刀

アタシは次郎太刀。見ての通りの大太刀さ。 兄貴の太郎太刀同様に奉納されてるけど、兄貴と違って、頑張ればまだ使えないこともない大きさなんだ。 と、言ってもやっぱりデカいんだけどね! 兄の太郎太刀の主人である真柄直隆の子、真柄隆基が用いたとされる太刀。

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御手杵

御手杵

三名槍が一本。御手杵だ。槍身は他二本よりでかく、重いんだが、機能は刺すことに特化してるんだ。 そんなわけで、細長く手杵みたいな鞘を使ってたことからこの名がついた。 ……までは良かったんだけどなあ。参勤交代用に、名前を強調したでっかい鞘が作られちゃって、これが重いこと重いこと…… 御手杵は、天下三槍と呼ばれた名槍の1つ。室町時代に駿河国嶋田の刀工、五条義助が鍛えた大身槍である。お手杵の槍とも呼ばれる。 切先から石突までの拵えを含めた全長は約3.8m。槍身は穂(刃長)4尺6寸(138cm)、茎まであわせて全長7尺1寸(215cm)と桁外れの大きさで、これだけで大太刀や長巻以上である(ただし穂先の断面は三角形で、あくまでも突くための武器である)。重量は6貫目(22.5㎏)あったと伝わる。鞘は細長く手杵のような形であり、そこからこの名がついたという。

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小狐丸

小狐丸

相槌を打ったのが狐故、小狐丸と申します。 神々への感謝ゆえ、小鍛冶と称し、相槌を打った狐も小狐です。 けして、図体が小ではありません

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長曽祢虎徹

長曽祢虎徹

おれは長曽袮虎徹......の贋作だな。打ったのは虎徹じゃない。源清麿という、 四谷政宗の異名を持つ刀工だ。まともな刀工の作が故に、贋作の中では出来がいいほうだな。 もっとも、おれの元の主は、最後までおれが本物だと信じていたようだが。 ......ああ。元の主は近藤勇という 江戸時代に活躍した刀工、虎徹の贋作といわれている打刀。元持ち主の近藤勇が、池田屋事件の激しい戦いを経ても折れも曲がりもしなかったと伝えていることから、剛刀であることは間違いない。

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浦島虎徹

浦島虎徹

俺は浦島虎徹。鳥取藩主の池田家に伝わってた脇差で、浦島太郎が彫られてるんだ。 ……あ、俺は本物の虎徹だよ? 虎徹作の脇差。刀身に浦島太郎の像が彫られていることから。鳥取藩主の池田家に伝来。個人蔵。

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明石国行

明石国行

どうも、すいまっせん。明石国行言います。どうぞ、よろしゅう。 いちおー、自分、来派の祖の出なんですけどなぁ、基本、 なーんもやる気せーへんので。まっ、お手柔らかに? 来国行作。明石藩主の松平家伝来の太刀。国宝。 身幅広く、腰反り高く、中切先の鎌倉時代中期特有の体配であるが、国行の作中ではやや細身に属する。地鉄は小板目つみ、やや肌立ち、刃文は広直刃調に丁子を交え、刃中の働きが盛んなものである。明石松平家伝来のため「明石国行」の異名を持つ。茎は生ぶで雉股形となり、茎尻に手抜き緒通しの孔があり、貴重である。

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博多藤四郎

博多藤四郎

数多いお守りとしても、ステータスとしても人気で大名がこぞって手に入れようとした藤四郎の短刀は、 時の商人たちも贈答用などに買い求めてたとよ。 そんな中、博多の商人が得た藤四郎が、俺!博多藤四郎たい! 粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。博多から出たため、博多藤四郎の異名がついたとされる。 筑前福岡城主 黒田忠之から小笠原忠真に贈られ、以降小笠原家に伝来した。博多の豪商から受け継いだ商売人魂を持つ。

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日本号

日本号

天下三名槍が一本にして、日の本一の呼び声も高い、日本号だ。 槍でありながら、正三位の位持ちって聞けば、オレの凄さもわかるだろ? ……ただなあ。世間じゃどうにも、酒の席で羽目外したせいでぶんどられた槍ってことで有名なんだよなあ…… 天下三名槍のひとつで、「日の本一の槍」と称えられる。黒田藩の重臣 母里太兵衛が、福島正則との呑み賭で勝ち取ったという伝承から、別名「呑み取りの槍」とも呼ばれる。 槍でありながら正三位の位持ち。

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近藤勇

近藤勇

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沖田総司

沖田総司

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青い鳥

青い鳥

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髭切

髭切

源氏の重宝、髭切さ。試し斬りで罪人の首を斬ったら、髭までスパッと切れたからこの名前になったんだ。 とは言え、僕にとって名前は割とどうでもいいんだよね 源氏の重宝。試し斬りで罪人の首を斬った際に、髭まで切れたことが名の由来とされる。長い年月を経て大抵のことはどうでもよくなったとおおらかに語る。 が、どうでもよくなってはいけないことまで忘れてしまっているような……。

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膝丸

膝丸

「源氏の重宝、膝丸だ。試し斬りで罪人を斬ったら、両膝を一刀で断った事から名付けられた。 ……もっとも、兄者同様に、他の名で俺を呼びたがる者もいるな」 源氏の重宝。試し斬りで罪人を斬った際に、両膝まで一刀で断ったことが名の由来とされる。 時折兄である髭切に忘れられて絶望するが、すぐに立ち直る。長い年月、失意を繰り返すとさすがに復帰も早いらしい。

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大典太光世

大典太光世

……天下五剣が一振り。大典太光世だ。 名前ばかり立派だが、そのせいでずっと蔵に封印されていたんだ。 どうせ誰も俺の武器としての役割には期待していないんだろ?わかってるよ。みんなそうだったからな 天下五剣のひとつで、三池典太光世作の太刀。 同時代の刀剣とは作風が隔絶しており、その異質さからか枕元に置けば病も治るとされた霊刀。 小鳥などの動物が恐れて近寄れないほどの強い霊力を持つ。 普段は厳重に蔵に仕舞われていた正真正銘の蔵入り息子。

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こんのすけ

こんのすけ

『刀剣乱舞』に登場するマスコット兼ナビゲーターである「くだぎつね」。 主にチュートリアルやイベント時の解説を担当する。 ゲーム内ではテキストによる会話・説明がある。 公式twitterアカウントのひとつである「刀剣乱舞-本丸通信-【公式】」においてイベント等の告知を発信している。 油揚げが好物。

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審神者

審神者

刀剣男士たちを束ねる主。物の心を励起する技を持ち、時間遡行軍から歴史を守るべく刀剣男士たちを出陣させる。

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物吉貞宗

物吉貞宗

物吉貞宗と言います!無銘のボクですが、ボクを持っていくさに行くと必ず勝てるというので、徳川家康公には大事にしていただきました! 相州貞宗作の脇差。 徳川家康の愛刀で、これを帯びて出陣すると必ず勝利を得たことから「物吉」と名づけられたと伝わる。 好きなことはお手伝い。戦慣れした幸運の王子。

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後藤藤四郎

後藤藤四郎

後藤藤四郎だ。うちは兄弟がいっぱいいるけど、背が高めなのが俺だ。チビどものことで困ったら言ってくれよな。 粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。後藤庄三郎光次が所持していたことから名づけられたとされ、後に尾張徳川家に伝わる。 藤四郎兄弟の中で身長は高めの部類に入るが、もっと大きくなりたいお年頃。

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不動行光

不動行光

俺は不動行光。不動明王と矜羯羅、制多迦が浮き彫りされてて、織田信長公がたいそう愛した逸品なんだ。 どのくらいかというと、酔うと膝を叩いて歌って自慢するくらいだな。これって、相当のことだろう? 織田信長の愛刀。信長は酔うと膝を叩いて「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」と歌ったという。森蘭丸が拝領、後に本能寺の変で焼け身になったとされる。 名は不動明王と矜羯羅童子、制多迦童子が浮彫されていたことに由来している。

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数珠丸恒次

数珠丸恒次

私は、天下五剣の一振り。数珠丸恒次と申します。 人の価値観すら幾度も変わりゆく長き時の中、仏道とはなにかを見つめてまいりました。 ……人を斬る道具が、仏道を守る。この在り方は、間違っているのでしょうか…… 天下五剣のひとつで、青江恒次作との説がある太刀。 鎌倉時代の僧、日蓮が護身用として所持していたと伝わり、 柄に数珠が巻かれていたことが名の由来ともされている。

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信濃藤四郎

信濃藤四郎

俺、信濃藤四郎。 うちは兄弟多いし、俺、秘蔵っ子だから、あんまし知らないかも。でも、仲良してね、大将 粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。永井信濃守尚政所持であったことが名の由来。後に、庄内藩酒井家に伝来。主の懐に入りたい、折り紙つきの秘蔵っ子。

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太鼓鐘貞宗

太鼓鐘貞宗

俺は、太鼓鐘貞宗! 伊達忠宗様が使ってた刀なんだぜ。 どうよ、この彫り物! 派手でかっこいいだろう? ……あ? 名前の由来? 何だったかなー。よく覚えてねーな。 まっ、めでてえ感じでいいじゃねーか! 相州貞宗の作で、長く伊達家に在った短刀。伊達者という言葉が今に残るだけあって、派手好きでお洒落を尊ぶ性質をこの太鼓鐘貞宗も受け継いでいる。燭台切光忠とは「みっちゃん」「さだちゃん」と呼び合う仲。

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ソハヤノツルキ

ソハヤノツルキ

ソハヤノツルキ ウツスナリ……。この言葉が俺を示すもの。 坂上宝剣の写しにして、大典太光世とは兄弟だな。 家康公の守り刀として日光に祀られていたんだけどさ、主を変えて使われ続ける在り方と、主とともに長き眠りにつく在り方。 刀としてはどちらが幸せなんだろうなぁ? 無銘であるが、三池典太光世作と伝わる太刀。坂上田村麻呂の佩刀であった「ソハヤの剣」(坂上宝剣)の写し。 徳川家康が所持し、死後霊刀として一緒に葬られたと言われている。強い霊力を持つために長く仕舞われていたことを少々根に持つ。

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亀甲貞宗

亀甲貞宗

ぼくは亀甲貞宗。徳川将軍家に伝わる刀だよ。 今の名前は、亀甲紋が彫られていることから付いたんだ 相州貞宗の作で、無銘の打刀。茎に亀甲菊花文の彫物があることからこの名がついたとされる。気品薫る貞宗の風格。白菊のごとき美青年。そして極まる、ご主人様至上主義。

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包丁藤四郎

包丁藤四郎

俺は包丁藤四郎! 藤四郎の兄弟で、包丁みたいな形をしてるんだ! 俺の主は、徳川家康公だったんだぞ! どうだ、すごいだろー! 粟田口吉光作の短刀。藤四郎兄弟のひとり。武家にとって吉光の短刀は最上級の贈物。 それが徳川家康の元にひと時でもあったものとなれば更に意味は増す。そして、彼の嗜好が誰譲りのものかは言うまでもない。

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大包平

大包平

古備前派の刀工包平作の太刀。共に刀剣の横綱といわれながら、天下五剣でもある童子切安綱をライバル視する。歴史的な逸話や伝説にやや乏しく、池田輝政に見出されたという一説は彼の拠り所。同郷の鶯丸に観察されている。

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小烏丸

小烏丸

古来、重宝として名高い太刀。一説では日本の刀剣が日本刀と呼ばれる形になる成立過程にある一振り。 故に、烏の童子を想わせる姿で励起されるが、他の刀剣たちは言わば我が子であり、自らはその父として振る舞う。

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千子村正

千子村正

初代村正(千子村正)の作で、恐ろしいほどの切れ味を持つ実戦向きの打刀。 ミステリアスな立ち居振る舞いは、長く妖刀として眼差しを向けられてきた彼の物語から来るものか。 同じ村正の一派である蜻蛉切の心配の種でもある。

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森蘭丸

森蘭丸

織田信長の近侍を務め、信長への忠誠心が人一倍強い。 信長から授けられた刀である不動行光を大切にしている。

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明智光秀

明智光秀

織田信長からの信頼を受け、低い身分から成り上がった戦国武将。 信長への忠誠を誓っていたはずだが、 天下統一を目前とした信長に対し、謀反を起こしたとされる。

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暂无

湯浅直宗

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暂无

徳川家康

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