
佐々木尚
简介:『WJ』編集長。1963年2月22日生、群馬県出身。モデルは実際の『WJ』第9代編集長・佐々木尚。 「面白い漫画であれば連載されるのは当たり前」と公言している、「面白さ絶対主義」の持ち主。連載会議では候補作品の本数や作者の経歴などに関係なく、たとえ初投稿者の作品であっても自分が面白いと判断した作品に対しては「あり(新連載の候補にしてもよい)」の判定をしている。しかしその反面、いったん発言したことは原則として撤回しない主義のため、編集部の中にも彼の強硬な方針に「編集責任者として狭量」と不満を持つ者も多い。サイコーが過労により倒れた時は一方的に休載を迫り、一時期『WJ』編集部で物議をかもしたこともある。 川口たろうこと真城信弘が「超ヒーロー伝説」を連載していた当時の担当編集者だった。副編集長を務めていた時に、信弘に「戦力外通告」を言い渡しており、それは彼にとっても嫌な思い出になっているらしい。信弘の葬儀にも参列していた。サイコーたちの投稿時代、『WJ』の専属契約制度について説明をすると同時に、人気が落ちれば容赦なく切り捨てられる漫画家の厳しい実情についてもサイコーたちに詳しく教えて聞かせた。サイコーが信弘の甥であることは知っているが、良くも悪くもそれを理由にサイコーを特別扱いすることはせず、あくまでも将来性のある新人として期待するに留まっている様子である。しかし、サイコーが入院した際に高校卒業まで『TRAP』の休止を宣言したり、『PCP』が『CROW』や『+natural」に25話の段階で匹敵する人気でない場合に強制打ち切りを決めるなどあえて厳しい課題や処分をすることもあった。 七峰のリベンジが終了した後の2017年3月、(アニメでは『CROW』終了後)『WJ』編集部から『必勝ジャンプ』編集部へ異動となった。

简介: 1957年7月30日に、静岡県御殿場市で生まれた。 御殿場市立御殿場中学校を卒業後、日本大学三島高等学校にスポーツ特待生で入学するも、高校一年のときに体を壊し転校。逗子開成高等学校(タレントの吉村明宏とは同窓)を卒業。なお、日大三島高校時代は野球部に所属していた。このためか日本タレント名鑑(2011年版)では特技の欄に野球とある。ポジションは、ピッチャー。中学時代はキャプテンも務めた。 小学生時代に朗読を褒められたことから高校卒業後DJなることを目指し、19歳の時に東京アナウンスアカデミーの1週間の基礎科集中講座を受講。そのままDJコースに進むか考えるが、DJという職業は教わってなるものではないと考え、ディスコやクラブで飛び込みのDJや司会の仕事をするようなる。目標にしていたDJは、小林克也や糸居五郎。 次第にTVのナレーションやレポーターなどの仕事もするようになり、知り合ったテレビ局プロデューサーに「役者になった方が面白いかもしれない」と言われる。当初は断っていたが、次第に興味を惹かれるようになり、たてかべ和也のオフィス央を紹介され所属。たまたま受けたオーディションに合格し、特撮番組『アンドロメロス』のアンドロウルフ役(1983年)でデビューした。 最初は演技に積極的ではなく素人同然で声優になったため、無我夢中で演じても全然出来なくて毎回居残り練習の連続で地獄だったと当時を振り返る。そこで、山之内雅人に師匠についてもらい、仕事をしながら演技を学んだ。あまりに下手だったため、多数の監督たちから指導され「今の堀内を造ったのは自分だ」と思ってくれている人が10人以上いるとのこと。 1984年3月に、オフィス央と合併したぷろだくしょんバオバブに移籍。 古田信幸から「勉強会のつもりでやってみないか」と声を掛けられ、2001年からワークショップ「talk back」を主宰。バオバブとの契約は20年となっており、契約切れになったらフリーになろうと思っていたが、ワークショップで出会った人たちをどうにかできないかと考え、独立して2002年5月にケンユウオフィスを設立。代表取締役に就任した。 2012年、第6回声優アワード「富山敬賞」を受賞。

